会社が主張する損害との相殺を求められた場合

会社が主張する損害との相殺を求められた場合

役員退職慰労金を請求したところ、会社から「在任中の行為により会社に損害が生じているので、その賠償請求権と相殺する」と主張されることがあります。相殺は法律上認められた制度ですので、主張自体を封じることはできません。もっとも、相殺が効力を生じるためには要件があり、会社が主張する債権が実際に存在するかは別の問題です。本記事では、支払を求める側の元役員及びその御遺族に向けて、相殺の主張への対応を整理します。

結論 相殺の可否は「自働債権が本当に存在するか」に帰着します

二人が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができます(民法第505条第1項)。相殺は、当事者の一方から相手方に対する意思表示によって行われます(民法第506条第1項)。

したがって、会社が相殺を主張する場合、会社は自らが有すると主張する債権(自働債権)の存在及び額を主張立証しなければなりません。相殺の主張は、実質的には、会社による損害賠償請求と同じ内容の主張を意味します。

検討の順序 内容
第1 会社が主張する債権の内容及び発生原因を特定させます
第2 債権の発生要件を満たしているかを検討します
第3 損害の発生及び額が立証されているかを検討します
第4 相殺が禁止又は制限される場合に当たらないかを検討します
第5 会社の債権について時効が問題とならないかを検討します

自働債権として主張されやすいもの

類型 内容 主たる争点
任務懈怠に基づく損害賠償請求権 役員としての任務を怠ったことによる損害 任務懈怠の有無、損害の発生及び額、因果関係
役員貸付金の返還請求権 会社から役員個人への貸付け 貸付けの事実、返済の有無、金額
立替金の返還請求権 会社が役員個人のために支出した金銭 支出の事実及び性質
不当利得返還請求権 過大な報酬の受領等 法律上の原因の有無
不法行為に基づく損害賠償請求権 横領、背任等の主張 行為の存否、損害の発生及び額

このうち、役員貸付金及び立替金については、計算書類上に計上されていることが多く、事実関係が比較的明確です。一方、任務懈怠に基づく損害賠償請求権は、要件の立証が容易ではなく、会社が主張するにとどまり具体化されない例が多く見られます。

任務懈怠の主張への反論

取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負うとされています(会社法第423条第1項)。

この責任が認められるためには、任務を怠ったこと、損害が生じたこと、両者の間に因果関係があることが必要となります。反論は、次の順序で組み立てます。

反論の視点 内容
任務の特定 どの法令又は定款の定めに違反したのか、善管注意義務のいかなる内容に反したのかを特定させます
経営判断の評価 判断の前提となった事実の認識に不注意な誤りがなく、判断の過程及び内容が著しく不合理でなかったことを示します
関与の程度 当該行為に関与していないこと、又は反対していたことを示します
他の役員の関与 取締役会の決議を経ている場合には、他の役員も同様の立場にあることを示します
損害の立証 損害が現実に生じているか、額が具体的に算定されているかを問います
因果関係 行為と損害との間の因果関係が示されているかを問います

取締役の経営上の判断について、判断の前提となった事実の認識に不注意な誤りがなく、その判断の過程及び内容が著しく不合理でない限り、善管注意義務に違反しないと解する考え方が採られています。この点は判例法理によります。

会社が責任追及の手続を採っていない場合

会社が損害賠償請求権を有すると主張しながら、実際には訴訟の提起その他の責任追及の手続を採っていない事案が多く見られます。この事実は、次の点を指摘する材料となります。

第一に、真に損害が生じており、賠償を求めるべきであるならば、会社は請求を行うのが自然です。行っていないという事実は、主張の信用性を検討する材料となります。

第二に、役員の会社に対する責任は、総株主の同意がなければ免除することができないとされています(会社法第424条)。会社が責任の有無を曖昧にしたまま役員退職慰労金の減額の材料としてのみ用いることは、責任の処理として整合しない面があります。

相殺が禁止又は制限される場合

場合 内容 根拠
相殺を禁止する意思表示がある場合 当事者が相殺を禁止し、又は制限する旨の意思表示をしたとき 民法第505条第2項
悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務 当該債務の債務者は相殺をもって対抗できません 民法第509条第1号
人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務 同上 民法第509条第2号
差押えを受けた債権を受働債権とする場合 差押え後に取得した債権による相殺は制限されます 民法第511条第1項

民法第509条は、不法行為等により生じた債権を受働債権とする相殺を禁止するものであり、本件のように会社の損害賠償請求権を自働債権とする場面とは方向が異なります。もっとも、事案によっては関係し得ますので、債権の性質を確認しておく必要があります。

時効との関係

会社が主張する債権について、既に消滅時効が完成している場合があります。この場合には、時効を援用することを検討します。

もっとも、時効によって消滅した債権がその消滅以前に相殺に適するようになっていた場合には、その債権者は相殺をすることができるとされています(民法第508条)。したがって、会社の債権が役員退職慰労金の債権と相殺適状にあった時期があるかどうかを確認する必要があります。

また、相殺の意思表示は、双方の債務が互いに相殺に適するようになった時にさかのぼってその効力を生ずるとされています(民法第506条第2項)。この遡及効により、遅延損害金の計算に影響が生じます。

役員貸付金が主張されている場合

会社の計算書類に役員貸付金が計上されている場合、会社はこれとの相殺を主張することがあります。この場合には、次の点を確認します。

確認事項 内容
貸付けの事実 実際に金銭の交付を受けたか。会計上の処理にとどまらないか
金額 計上額と実際の残高が一致するか
返済の状況 報酬からの控除等により返済が行われていないか
債務の性質 会社の経費を立て替えたものが誤って計上されていないか
時効 貸付けから長期間が経過していないか
利息の定め 利息が付されているか、その額は適正か

中小の会社では、実態が明確でないまま役員貸付金として計上されている例が少なくありません。計上の経緯を確認したうえで、争う余地があるかを検討することになります。

案件で確認すべき事項

番号 確認事項 確認の方法
1 会社が主張する債権の種類及び発生原因 会社への書面による求め
2 主張されている金額及びその算定の根拠 会社への書面による求め
3 相殺の意思表示が行われたか及びその時期 会社からの書面
4 計算書類における役員貸付金等の計上 計算書類、勘定科目内訳明細書
5 任務懈怠とされる行為の内容及び時期 会社への書面による求め
6 当該行為に関する取締役会の決議の有無 取締役会議事録
7 会社が責任追及の手続を採っているか 会社からの請求の有無、訴訟の記録
8 会社の債権について時効が問題とならないか 発生の時期の確認
9 役員退職慰労金の額及び算定の根拠 支給規程、株主総会議事録
10 退任からの経過期間 登記事項証明書

弁護士にご相談いただく意味

相殺の主張がされると、事案は「役員退職慰労金を請求する事件」から「会社の損害賠償請求権の存否を争う事件」へと性質を変えます。役員としての在任中の行為が正面から検討の対象となりますので、対応を誤ると不利な結果を招きます。

弁護士は、元役員の代理人として、会社に対する債権の特定の求め、任務懈怠及び損害の主張に対する反論の組み立て、計算書類等による事実関係の確認、会社法上の各種の閲覧謄写の請求、時効の援用の検討、訴訟その他の裁判所の手続の遂行を行います。当事務所は会社の側の代理人となる案件も取り扱っており、会社がどのように主張を組み立てるかを承知していることが、支払を求める側の作業にも生きています。

よくあるご質問

質問1 相殺すると言われただけで、金額の説明がありません。

会社は自らが有すると主張する債権の内容及び額を明らかにする必要があります。書面により特定を求めることが第一歩となります。

質問2 会社が損害賠償を請求してきたことはありません。

責任追及の手続が採られていないことは、主張の信用性を検討する材料となります。相殺の主張の中で初めて持ち出された経緯を指摘することが考えられます。

質問3 役員貸付金があると言われました。

実際に金銭の交付を受けたか、計上額が正しいか、返済が行われていないかを確認することになります。会計上の処理にとどまる場合には争う余地があります。

質問4 当時の判断は取締役会で決めたものです。

取締役会の決議を経ている場合には、他の役員も同様の立場にあることを指摘できます。議事録により決議の内容及び賛否を確認することが前提となります。

質問5 会社の債権は古いものです。時効を主張できますか。

時効の完成を検討する余地がありますが、相殺適状にあった時期がある場合には、時効消滅後も相殺が認められることがあります(民法第508条)。個別に検討する必要があります。

本記事における非開示事項について

会社に債権の特定を求める書面の組み立て方、反論の順序及び時期の選択、時効の援用の要否の判断は、株主構成、機関設計、財務状況、従前の経緯等により異なり、当事務所が実務において蓄積してまいりました知見に属しますので、公開していません。

弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談

弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕)では、役員退職慰労金の未払に関するご相談をお受けしています。当事務所は、役員の側の代理人となる案件も、会社の側の代理人となる案件も取り扱っており、この分野に精通していることから当該分野を取り扱っています。

  • 電話番号 03-6435-8418
  • ご相談は事前予約制です

ご相談に際しましては、登記事項証明書、役員退職慰労金支給規程の写し、計算書類の写し、取締役会議事録の写し、会社からの相殺に関する書面、会社との往復の書面をお持ちください。お手元になくてもご相談をお受けしています。課税関係については税理士にご確認ください。

弁護士費用につきましては、弁護士費用一覧のページをご覧ください。

本記事の根拠条文

会社法 第318条第4項(株主総会議事録の閲覧謄写)、第330条(株式会社と役員との関係)、第356条第1項(競業及び利益相反取引の制限)、第361条第1項(取締役の報酬等)、第371条第2項・第3項(取締役会議事録の閲覧謄写)、第423条第1項(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)、第424条(責任の免除)、第442条第3項(計算書類等の閲覧等)

民法 第166条第1項(債権等の消滅時効)、第505条第1項・第2項(相殺の要件等)、第506条第1項・第2項(相殺の方法及び効力)、第508条(時効により消滅した債権を自働債権とする相殺)、第509条(不法行為等により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止)、第511条第1項(差押えを受けた債権を受働債権とする相殺の禁止)、第644条(受任者の注意義務)

判例法理による部分 役員退職慰労金が会社法第361条第1項の報酬等に含まれること、及び取締役の経営上の判断について判断の過程及び内容が著しく不合理でない限り善管注意義務に違反しないと解されることについては、判例法理によります。個別の事案における適用は、事実関係により異なります。

関連するご案内

在任中の落ち度を理由に役員退職慰労金を減らされお困りではありませんか のページで、確認すべき事項と採り得る手続を整理しています。ご相談は事前予約制です。

必ず解決できますから、一緒に頑張りましょう。

このページの位置付けと、関連するページ

本ページは、減額及び不支給の主張への反論に関する解説の中核となるページです。個別の論点は、次の各ページに整理しています。

具体的な御相談をお考えの皆様へ

本ページの主題に関し、当事務所の取扱内容、対応の進め方及び費用の考え方は、次の御案内のページに整理しています。あわせて御覧ください。